1週間ほど前の8月末に、Salmonくんが亡くなったとの知らせが届いた。
理由は分からないけど、とにかく自ら命を絶ったということだった。電話をもらった時は文字通り頭が真っ白になって、1週間以上経った今も、まだ、どこか現実味がなく、そういえば最近どうしてるだろう?と、思わず電話を掛けてしまいそうなくらいだ。
最後に会ったのは7月末で、ここ最近はクラブでもあまり会う機会がなく、ゆっくり話も出来ていなかったのが、残念でならない。でも彼という才能や存在が忘れられないよう、彼との思い出話や、彼がどれだけ音楽家として素晴らしかったかを、今日は活字に残しておきたいと思います。
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僕が初めて彼と出会ったのは、確か2002年くらいだったと思う。当時彼はmetro999というバンドをやっていて(それ以前はMetro Flavorというバンドだった)、その頃は同時にクラブや倉庫などでパーティーをやっていた。話しがてらに僕もDJをやってると言うと、彼はすんなり僕をパーティーにブッキングしてくれた。
パーティーはそれまで僕が会ったことのないような個性的な人たちが沢山来ていて、前衛舞踏のパフォーマンスもありそれに度肝を抜かれたものだった。勿論彼のライブも素晴らしく、生ドラム+サンプラーでアブストラクトっぽい事をやっていたそれは、その頃ハウスやテクノに浸かりきってた僕には、本当に新鮮な響きだったのを覚えてる。
年が4つ離れていて地元も近かった Salmonくんは、どことなく不良の兄貴みたいな風に感じられて、またとにかく膨大な音楽の知識を持っていて、色んなアーティストやCD、はたまたぼくの知らない過去のカルチャーアートみたいなものもよく教えてもらった。そんな風によく接しているうちに、彼がレーベルを始めると言い出して、コンピをつくるので1曲参加してくれないかと言われて作ったのが、"Sandinista"という曲で、これがぼくの初めてのリリース作品となった。2004年だっただろうか。レーベルは勿論ご存知「WC Recordings」。
その後"Sandinista"を気に入ってくれたSalmonくんは、僕にアルバムを出さないかと言ってくれて作ったのが"My Existence"で、ぼくの最初であり、今のところ唯一のCDアルバムだ。2005年にリリースされた。
その頃のWCは、1ヶ月に1枚、BPMをそれぞれ統一したアルバムを出すというコンセプトでCDを出していて、僕もBPM130で、ほとんど無いに等しい製作期間、今考えたらミックス前の曲作り期間は確か1ヶ月だったと思う、を、全22曲、とにかく無我夢中でつくった。マスタリングの確認をしにSalmon くんの家に行った風景が今でも頭に残ってる。2004年の寒い冬だった。
余談だけど、そうして発売されたアルバムで、初めて大阪の見ず知らずのオーガナイザーにブッキングされたのもこの作品が初めてだった。WCのウェブサイト宛に連絡をくれて、その後によく大阪で一緒に遊ぶ仲になった人達だ。そのときSalmonくんはレーベルを大所帯で大層なものに見せるために、メールのやり取りの際、「吉岡さん」という偽のマネージャーになりすましていた(笑)。そんな風に、レーベルもいい加減にスタートしてたんです。
WCの一連の12ヶ月連続リリースを終えた、その後のSalmonくんの活躍は本当に素晴らしかった。まだそこまで海外、ひいてはミニマルテクノ/ハウスのシーンで日本人アーティストが活躍していなかった頃から、Raum..Musik、Tora Tora Tora、Karmarougeなど、海外の名だたるレーベルから次々と作品を発表して、周囲をあっと驚かせた。
肝心のその作品群も、とにかく今まで聴いたことのないようなテクノ、いや、まさしくジャンルを超えたエレクトロニック・ダンスミュージックだった。今思えばそれは、テクノやハウスといった音楽を土壌として持っていたわけではないSalmonくんの、60年代のロックから連なる流れの、オルタナティブ溢れる、自由な実験精神の賜物だったのだろう。
同時にその頃、僕もUKのRe-activeというレーベルから初めて海外作品を出すことが出来て、その縁でロンドンのPerc Traxと交流ができ始め、レーベルに以前のWCのコンピを郵送で送ったりした。オーナーのPercはそのコンピを気に入って、SalmonとスプリットでEPを出さないか?と訊ねてきた。それが"WC Succession EP"という12インチだった。2006年の冬頃だったと思う。
このWC Succession EPに入っている、Salmonくんの"Chon-mage Sex"という曲、もし聴いたことが無ければ、是非とも聴いて欲しいです。ひどいタイトルだけど、この頃のSalmonくんの一連の作品の中でも特に変わった作風で、後のWCの和風テイストを予見させる、強烈な個性によるダンスミュージック。(ぼくのSalmonフェイバリットは、この"Chon- mage Sex"、Tora Tora Toraからの"Grasshopper"、Perc TraxからのRedsound "Pink Body"のリミックス、沢山あるけどこの3曲はぜひともチェックして欲しいです。)
このEPは海外でも結構売れて、僕の"Hi Ronnie"という曲も、Josh Wink等がプレイしたとのフィードバックがレーベルから来た。PercとAvus(Border Community)を日本に初めて呼んで、Salmonくんらとみんなでリリースパーティーをしたり、各地へプレイしに行ったりしたものだ。ある1日 Salmon君と大阪へ呼ばれたとき、予算が少なくて、味園のホテルにSalmonくんと相部屋で泊まったこともあった。場所柄、風呂場がガラス張りで寝室から丸見えで、お互い気味悪くしながら風呂に入ったものでした(もちろん別々でですよ)。
その後WC Succession EPは続編の2もリリースされた。あまりにも秀逸だったので、自分の曲よりも、裏面のSalmonくんの"Black Veils"をよくプレイしたものだった。とにかくPerc Traxからのリリースは海外にも受けて、海外の人も僕やSalmonくんを知る人が増える切っ掛けとなった。昨年、Jonas Koppと彼がプレイしていた日本のクラブで知り合ったとき、Salmonに「あのPerc Traxのレコード好きだったんだよ!」と言ってたのを覚えてる。
2008年になるとWC自体も配信リリースで再始動、パーティーをUNITでスタート、僕も第1回目から出演した。2008年3月だったと思う。それからというもの、Salmonくんと僕で好きなアーティストの候補を考えるために、ほぼ毎日といって良いくらい電話で意見交換した。
UNITでのWC、このブログを以前から読んでいた方からするとよくご存知でしょうから、多くは書きませんが、まずあの徳川家康というアイデアをSalmonくんが考えついたのも、インパクトの事を考えてではあるでしょうけど、ひょっとしたら、外タレ隆盛な日本のテクノ・ハウスシーンに、某かの一矢を報いたかったからなんじゃないかと思います。彼のいない今となっては、真相は分からないけど…。
それとは裏腹に、WCで招聘した海外のアーティストは、ことごとくSalmon君のプレイを絶賛した。招聘したアーティストほぼみんなだったと思う。特にMy MyのLee Jonesは「ベルリンに来るときがあればいつでも言ってくれ、場所は必ず用意する。君はベルリンでプレイすべきだよ」とまで言っていたのを覚えてる。 Salmonくんは海外へ行くのが好きではなかったらしく、それも結局実現はしなかったけれど、もし彼が海外、例えばベルリンをベースに活動をしていたら、本当に名声を得た存在になっていたかもしれないと、今でも思います。
その後もWCからの配信リリース等で、相変わらずの Salmon節を見せつけてくれていたけど、今振り返ると、WC @ UNITを始めたころから、どことなく彼の曲調も変わってきていた気がして、ぼくの勘違いかもしれないけど、もしかしたらこの頃から、何か壁みたいなものに当たっていたのかもしれません。これについても、今となっては分からないけど…。
色々と悩んで、パーティーが休止になった後は、ぼくとSalmonくんは少し距離ができて、あまり電話もしなくなってしまいました。もちろん彼の活動がずっと気になっていて、去年、Salmonくんが旧知のタブラ奏者、U-zhaanくんとのアルバムを発表して、再びSalmonくんのアーティスト性というか、シリアスな音楽性が久々に蘇ってきたかと、いちファンとして、またよく知る友人として、これからの活躍を期待していたところだった。そんなところでの今回の訃報は、本当に残念でなりません。
僕の知らない、未発表のものはもしかしたら存在するのかもしれないけど、先週末DJだったんで、Salmonくんの音楽をプレイしようと、レコード棚を色々探して聴いていたんですね。全曲針を落として気づいたのは、ほんと、彼には「泣ける曲」というのが存在しないんです。ぷっと吹き出してしまうような曲はあれど、どれも、とにかく新しいものをクリエイトする、という気概の音楽にしか聴こえない。それに、あんなに沢山話したり遊んだりしたのに、Salmonくんの裸の気持ちというか、本音の音楽を聞いたことは無かったように思う。だからか、未だに彼の死が、現実的に感じられないのかもしれません。
実際、先週末にプレイした"Chon-mage Sex"も、音を出して、ブレイクが入りビートが止まっても、ただひたすらフロアにSalmonの音世界がつくられ、体感したことのないその異様な雰囲気に、お客さんが呑まれるばかり、といった感じだった。
以前、Salmonくんは僕に、「ゴンちゃん、俺は音楽で人を笑わせたいんだよ」と言っていた。そんな彼からしたら、今の日本の、笑わすことの難しいこのシリアスな空気は、とってもしんどかったかもしれない。言動も破天荒で奇天烈だった彼は、不謹慎だなんていう言葉に、一等きつい思いをしてたかもしれない。
分からないけど、でも、泣ける曲を1曲も発表しないで、自らの死で人を泣かせようだなんて、余りにもベタベタじゃないか。俺は納得いかねーよ。そんなのロックンロールじゃねーんだよ。
色んな思いが交錯してしまうけど、とにかく今は、彼が(存在するかどうか分からないけど)あっちの世界で、新たに面白い人達を見つけ、酒を呑みながらにたにた笑ってることを願ってます。
また、彼のパロディ的側面も含め、その奥にある独創性溢れる世界観を、まだ聴いたことのない人は、ぜひ聴いてください。ラッキーにも彼の残した音楽はまだこの世にあります。Salmonことキクチケンジという、偉大な音楽家であり、音楽をとことん愛した人間がこの世に居た事を、どうか皆さん忘れないで下さい。僕も彼の音楽を超えられるよう、これからも精一杯がんばっていきます。
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